幸福を引寄せる考え方

「幸運」と「幸せ」の関係

幸運だから幸せなのか?幸せだから幸運を引き込むのか?

「幸運」を複数の辞書を見てみても、どの辞書も、ほぼ、同じ定義になっています。

【幸運】
よい運。よいまわりあわせ。しあわせ。「―にめぐまれる」「―な人」↔不運。

広辞苑、大辞林他

次に、「幸福」を引くと、次のような定義となります。

【幸福】
不自由や不満もなく,心が満ち足りている・こと(さま)。しあわせ

大辞林辞書より一部抜粋

 

私たちの感覚的には、「幸福」と「幸せ」は、ほぼ同意語です。「幸せ」は、辞書では、「幸運」と「幸福」の両方が含まれている定義がでてきます。

【幸せ・仕合せ・倖せ】
1 運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運。「思わぬ幸せが舞い込む」
2 その人にとって望ましいこと。不満がないこと。また、そのさま。幸福。幸い。
「幸せな家庭」「末永くお幸せにお暮らしください」
3 めぐり合わせ。運命。「―が悪い」

goo辞書より一部抜粋

辞書による「幸福」と「幸せ」の違いは、日本語の語源は、「し合わす」だと言われています。「し」は動詞「する」の連用形です。つまり、何か2つの動作などが「合う」こと、それが「しあわせ」なのです。別のことばで言い換えれば、「めぐり合わせ」に近いとも言えます。

自分が置かれている状況に、偶然、別の状況が重なって生じること、それが「しあわせ」でした。昔は、「しあわせ」とはいい意味にも悪い意味にも用いられました。偶然めぐり合った、よい運命も悪い運命も、「しあわせ」だったのです。
さて、現在の私たちは、語源を意識せず「幸せ」ということばを使っています。ただ、「仕合わせ」と書く場合、「仕」は当て字ですが、「合わせ」の方に、「しあわせ」が本来持っていると言われいて、偶然性の名残りです。つまり、偶然に訪れてきてくれた「自分にとってのいい事」が起こった状況のことを表すとき、「仕合わせ」と書くのが好まれる、というわけです。
ちなみに、日本を代表するシンガーソングライター中島みゆきの名曲「糸」の歌詞では、「幸せ」ではなく、「仕合せ」を使っています。

糸(ITO)
作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない

どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

なぜ 生きてゆくのかを
迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡の ささくれ

こんな糸が なんになるの
心許なくて ふるえてた風の中

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます

出典: 糸/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

中島みゆきの「糸」にある歌詞では、「めぐり逢わせ」といった言葉が使われています。

「なぜ、めぐり逢うのかをわたしたちは何も知らない」「遠い空の下 ふたつの物語」

といった歌詞は、まさに、遠い空だけど同じ空の下で、出会った二人の男女が、めぐり逢ったことの運命を伝えています。

「縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない」

では、二人の男女が、互いに関わっていくことで、一人ではつくれないものをつくることができる。(糸が布になる)二人でつくったもので、関わる人に「暖かさ、価値」を提供できる存在になることができることを表しています。

「なぜ 生きてゆくのかを迷った日の跡の ささくれ 夢追いかけ走って ころんだ日の跡の ささくれ こんな糸が なんになるの心許なくて ふるえてた風の中」

どうしてこんなに辛いのに生きていかなければならないのかと迷うこともあります。
夢を追いかけても、なかなか実現できないこともあるのも人生そのものだと言っています。ここで中島みゆきが糸とは、自分自身のことでしょう。

「縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かの傷をかばうかもしれない」

二人の男女が、一人でつくれないもの(布)は、同じ悩みを持つ人や、辛い状況にある人に支援することができます。

「逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと呼びます」

という歌詞で締めくくられています。「出逢えた」といった過去形ではなく、人生で出逢えないかもしれないことは、まさに、「仕合わせる」。つまり、待っていることではないといった意図があるのではないでしょうか?

さて、「幸運」を、もう少し、日常的な言葉に置き換えてみると「幸運」とは、「運がいい」という意味で使われています。「運がいい」のは、自分では、コントロールできないときに使われます。「幸運を祈る」とすると、運に頼るしかないといった解釈になります。「幸運が訪れそうだ」と使った時には、運が向いてきそうだと言っており、人間の能力や技量などではどうにもならない「運」がある、ツイていることの表現になります。

しかし、中島みゆきの歌詞や、本来の「仕合せ」の語源からすれば、必ずしも、コントロールできないことばかりではないと感じます。
いずれにしても、「幸運」と「幸せ(仕合せ)」は、関係が深いことがわかります。併せて整理してていきます。

 

「幸運」は、本当、偶然でコントロールできないのか?

幸せ(仕合せ)の語源でもわかるように、単なる偶然でなく、意図を持って活動する意味も含まれています。
「仕」の意味は、文字ナビでは、

つかえる。官に就く。家来になる。身分の高い人につき従う。「仕官・仕丁(じちょう)・仕途・勤仕・給仕(きゅうじ)・致仕・出仕・奉仕」つかまつる。「する」「行う」の謙譲語。

と解説されています。

さらに、文字ナビでは、次のようなことについても解説しています。

「する」の連用形である「し」の当て字。
「仕入(しいれ)・仕掛(しかけ)・仕懸(しかけ)・仕方・仕切(しきり)・仕組(しくみ)・仕手・仕事・仕儀・仕出(しだし)・仕業(しわざ)」

といったように、意図を持って行うことにより、合わせるせること言います。

つまり、幸せは、幸運を呼び込む、引寄せる といったようにコントロールできる面もあると、考えられていたのではないでしょうか?

 

幸田露伴が「努力論」の中で提唱した3つの福「惜福、分福、植福」

2017年に15歳で将棋連盟のプロとなり、デビュー以来29連勝で話題になった藤井聡太を始め若手が活躍する将棋界において、50歳最年長名人獲得したのは、故米長邦雄(以下米長)です。米長が現役で活躍していた当時は、22歳最年少名人になった谷川浩司、その後、7冠全てで永世位を獲得した羽生善治なども台頭し始めた頃、米長が、将棋の棋士としては、50歳で名人という最高位を獲得するとといったことは、驚異的な偉業でした。

米長は、日々真剣勝負の中に生きていた棋士であったこともあり、実力以外の「運」を感じたのでしょう。「運」について研究し、「運」にまつわる複数の著書を残しています。
米長の最初の著書「人間における勝負の研究」の中で紹介されていたのが、幸田露伴の「努力論」に書かれている3つの「福」でした。
私自身は、米長に会いたいと思い、東京千駄ヶ谷の将棋会館を訪ねたり、百貨店でのイベントに参加している中で、名人になった際、3つの「福」の内で、「惜福」という字の色紙を書いてもらいましたが、今でも、会社に額に入れて飾ってあります。

当時は、今のようにアマゾンやブックオフもありませんでしたので、東京神保町の古本屋を回って「努力論」を買い読みました。このことは、私が経営する会社の経営理念である「しあわせ(仕合せ・幸せ)の循環」のもとになり、幸せに関わる研究をしている背景になっています。

さて、明治~大正の時代において文豪であった幸田露伴(以下露伴)が、著書「努力論」の中で、書いた3つの「福」について、要約すると次のようになります。
露伴は、「どういう心がけで生きれば、不本意なことが多い世の中にあって人生を肯定的に生きられるか」といった観点から、タイトルは「幸福論「ではなく、「努力論」になっています。幸福を引き寄せるために、露伴は「幸福三説」なる3つの工夫を述べています。

「惜福」

福を使い尽くさないことです。
「たとえば掌中に百金を有するとして、これを浪費に使い尽して半文銭もなきに至るがごときは、惜福の工夫のないのである」
とあります。つまり、福が訪れたとしても、全て使ってしまっては、福を長持ちさせることができず、惜しんで残しておくのが惜福の教えです。

「分福」

露伴は、「春風はものを長ずる力であり、暖かさでは夏の風にはかなわないが、冬を和らげ、みんなを懐かしい気持ちに誘うことができる。それと同じように、福を分かつ心を抱いていると、その心を受けた者はやすらかな感情を抱くものである。分福をあえてなす者は周囲に和やかな気を与えることができる」と言います。
平たく言えば、分福とは、自分に巡ってきた福を独り占めしないで周囲にも分け与えることです。周りのおかげで今の自分があると思えば分けた福の見返りは期待しないとしても、結局、福は天からの授かりものであり人々の間を巡るものです。

「植福」

露伴は、「リンゴの木がまだ花を咲かせ、実をつけているうちに、種をまき、接ぎ木をし、新しいリンゴの木を育てておきます。それを自分の子孫が食べるのです。」と言います。つまり、植福とは、自分の生きている時代を超えた先を見て福を植えることです。
植えた木が大きくなる頃には自分は死んでいますが、その木は子孫や後世の人々の役に立つというのです。

露伴は、「福は天に向かって矢を放った状態」と例えています。矢は必ず落ちてくる。服がきても、そのままにしておくと福はなくなってしまいます。福をなくさないために、さらには福を増やすためにも「惜福」「分福」「植福」の3つの工夫があるというのです。

露伴が言う福は、ダニエル・ネトルが整理した幸福のレベルである

レベル1 一次的な気持ち 喜び 楽しさ
レベル2 気持ちのバランスの判断 充足感 生活の満足度
レベル3 善良なる生活 美徳 潜在能力の開花

の3つのレベル全ての包含し、豊かな人生を歩んでいくための「知恵」であると感じます。

なお、米長は、逆に、不運に見舞われたときについても、同著の中で、次のように
述べています。

「世の中で、何をやってもうまくいかないときがある。しかし、そうした時に、ジタバタしても、よけいに状況を悪くするだけだ。状勢が自分にとって不利になったときには、ジッとすること。しかし、単にジッとするのではなく、勢いがある我慢をすること。状況が変わったり、相手がスキを見せたら、一気に盛り返すつもりで緊張感を切らさない努力をすることが、重要である」

さすがに、長期に渡り、実績を出し続けた名棋士の言うことは違うと思います。

 

「人間万事塞翁が馬」が教える事象と捉え方で幸不幸がきまる!

中国の古い思想書「淮南子第18篇に書かれた逸話は、日本でも広く知られています。

ある塞(砦)に近いところにおじいさんとその息子が住んでいました。
禍:ある日、おじいさんの馬が遊牧民族の地へ逃げていってしまいました。
周囲の人が、馬がいなくなったことを悲しんでいるだろうと思いました。
→おじいさんは「いやいや、これが幸福になるかもしれないのだよ」と笑った。
福:数ヵ月後その馬が逃げていった地の良馬を連れて帰ってきた。
→おじいさんは「もしや、これが不幸の元になるかも知れぬ」と心配した。
禍:連れ帰ってきた馬に乗っていた息子が落馬してしまい、股(もも)の骨を折る大怪我をしてしまった。
→おじいさんは「もしかしたら、これは幸福だったのかも・・・」と言った。
禍:その年、おじいさんたちの近くの砦に突如敵が攻め込み大きな戦が起こりました。その砦の周囲の若者は戦に借り出され、その殆どが戦死した。
福:おじいさんの息子は骨折していたために戦に借り出されず、無事に生き残った。

つまり、「何かが起こった時、一見幸福でも後の災いに、一見災いでも後の幸福になることがある。人間の幸不幸は解らないものである」という有名な教えです。

幸せも不幸せも、人によって、捉え方、認知の違いが発生します。
現在においても、リーマンショック、コロナショック他、多くの人や企業にとって、望ましい状況ではないことが発生しています。
しかし、同じ状況において、どのように認知し、どのような行動をとるかは、人により異なります。
幸運な人は不運があっても、やがて幸運に転換させていきます。そして、不幸な人は、いつまでも不幸を嘆いて、ますます不幸を増幅させてしまう人もいます。

具体的な事例を一つ紹介したいと思います。

 

運を引寄せた経営トップの行動

福井経編興業株式会社は、1944年福井県坂井市福井市で設立された繊維会社であります。海外低コスト地域での生産が90%以上を占めるようになり、福井の繊維会社は海外へ活路を求めて進出いきましたが、国内に残った企業です。
同社は、人気作家池井戸潤氏「下町ロケット」の第二弾「ガウディ計画」で、ドラマ化され、多くの人に感動を与えたモデルになった会社です。

同社の代表取締役髙木義秀氏は、約300名もの社員の雇用を守るため、衣料から医療へとの転換を図っていました。
髙木氏が、様々な分野にチャレンジしている最中、“シルクの糸で人工血管を編めないか?”と、ある時、大学教授からの問い合わせがありました。狙ったのは6ミリ以下の細い小口径人工血管です。可能性を感じた髙木氏は、すぐに社内で人工血管プロジェクトチームを結成し、その後、日々、試行錯誤を繰り返して難易度が高い人工血管を見事に完成させました。人工血管の成功は、多くのメディアから注目される中、その情報を聞きつけた大阪医科大学の心臓血管外科根本医師から髙木氏に連絡が入りました。根本医師によれば、先天性に心臓に病気のある子どもの手術に使う材料である心臓修復パッチは、現在のものは劣化や伸展性に課題があり、手術術式によっては5年間に約50%の子どもが再手術を受けなければならないというのです。髙木氏は、子どもの成長に合わせて一緒に、会社をあげて取り組み、遂に、伸長する心臓修復パッチの自社開発に取り組み完成させました。こうした過程の中で、髙木氏は、大手繊維メーカーとの交渉など、数多くの会社と人を巻き込んでいっています。

心臓修復パッチの開発に没頭している髙木氏に、大きな出会いがありました。髙木氏の友人を通して作家池井戸潤氏から下町ロケット「陸王」の取材として、シューズ用のメッシュ素材についての説明を依頼されたのです。

当日、シューズ材についての説明を終えた後、髙木氏は、池井戸氏に、後30分だけ時間が欲しいと懇願した切り出し、この時とばかり池井戸に心臓修復パッチの開発に挑戦していることを熱く語ったのです。さらに、髙木氏は、「是非一度、福井へ来て開発現場を見て下さい」と話をし、その後も頻繁に、メールで連絡を取り続けたのです。遂に、池井戸氏が福井に足を運ぶことになると、髙木氏は、この機会を逃してはいけないと、大阪から根本医師を呼び寄せて池井戸に引き合わせました。さらに、池井戸氏を大阪の根本医師ところへ連れていき、手術見学もさせました。池井戸氏と髙木氏は、生まれたばかりの子どもが必死に生きようと戦う姿を目の当たりにさせたのです。

福井経編株式会社が、厳しい中でも成長しているのは、決して偶然ではなく、様々な人との関わりの中で、まさに、高視聴率番組「下町ロケット」のモデル企業に取り上げられるような判断をしてきたことがわかります。節目節目で人を繋いでいった賜物なのです。

運にはコントロールできないものもあります。コロナショックのように、誰もがどうしようもない状況になったことからも明らかです。
しかし、コロナショックのような世界中に不運が訪れたときにも、コントロールできる運に焦点を合わせて努力することで、確実に幸運に繋げることができるのです。
そして、冒頭に書いたように、幸運は幸せとの関係が深く、コントロールできる運の商店を当てて、判断し行動すれば、必ず「人や組織を幸せに導いてくれる」のです。

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藤井正隆

代表取締役社長株式会社イマージョン
大手組織開発コンサルティング会社で、営業責任者及び総研チームを経て、マネージングコーディネーターコンサルタントとして、「事業戦略」、「マーケティング戦略」、「組織変革」のコンサルテーション及びマネジメント研修を担当。 徹底した現場主義で、優良企業年間120社以上を視察訪問研究を継続中。千葉商科大学大学院商学研究科客員教授

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