利他は本当か?利己のためではないか?
カナダのブリティッシュコロンビア大学(米科学誌サイエンス2008年)に発表された実験では、「お金を他人のために使って人の方が、自分のために使った人よりも、幸福度が高かった」と結果を発表しています。
なるほど・・と、感じる人をいるでしょうが、本当だろうか?・・と思う人もあると思います。
経営者は、「自利・利他」ということを言われます。
2600年前、インドに現れ、仏教を説かれたお釈迦さまは、
「幸せになりたければ、自利利他の道を行きなさい」と教えたと言われています。
逆に、自己中心的な考えを、仏教では「我利我利」といい、一般的に自分のことばかりで、他人はお構いなしの心を言い、そうした人は、よく「我利我利亡者」と言われました
またキリスト教では、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」と教えます。その他、世界の主要な宗教は、利他を道徳的な価値として重要だとしています。
しかし、一方、「そんな余裕はないよ!毎日、生活するだけで精一杯」という気持ちもわかります。
こうした実感の中で、人間の利他が本当?といったことについて、哲学、経済学、心理悪、生物学等の分野から、様々な研究がなされています。
人間は、本当に利他の心のあるかいなかについて、いくつか例を挙げてみたいと思います。
まず、結局、利他といっても利己のためといった立場の代表的な例として、哲学では、「功利主義」といった考え方があります。他人のことを考える時であっても、それが、結局、自分の幸福の増大する結果を生むかどうかであるというものです。
また、経済学では、企業の利他的な行動と見えても、実際は、自社の利益の追求であるといったことにあると言われています。
次に、人間は、純粋な利己の心を持っているといった立場の代表的な例として、社会心理学では、「人間が社会的存在であるために、他人のために行動する理由がある。」
また、近年、注目されているポジティブ心理学では、「他人のためにする行為や金銭的な支援を考える姿勢が、自分の高い満足をもたらす」としていています。
さらに、生物学では、「自己の生存を犠牲にしても、他の個体を生き延びさせることで集団の生存させる」といった“種の保存”の本能があると説明しています。
様々な見解はあるものの、純粋な利他の心を完全否定することはできないといったことが、今のところの定説になっています。
こうした研究を確認するまでもなく、「東日本大震災の中で、自分の身の危険をかえりみることなく助けに行く」といった究極の状態の中での人の行動は、利己の心など考える余裕もなく動いたことから明らかだと思います。
いずれにしても、ポジティブ心理学の様々な実験研究により、人間の幸福にも繋がるとすれば、利他的な行為が重要であることは言うまでもありません。
自己実現と幸せの関係
「マズローの自己実現理論(欲求段階説)」は、1954年に心理学者のマズローが提唱した理論で、経済学や経営管理でも度々取り上げられています。人々の欲求は人間的な成長とともに5段階の段階を上がっていくいいうものです。
下から「生理的欲求」、「安全の欲求」、「親和(所属愛)の欲求 」、「自我(自尊)の欲求」、そして最後が「自己実現の欲求」と定義しました。また、「欲求には優先度があって下から上へとこの5段階を移行する」と当初マズローは言いました。非常に分かりやすい内容で、人の実感とも合うために広く知られています。
晩年、自ら「自己超越の欲求」を6段階目に加えたり、他の研究者によって再定義されるなどを経て、7段階、1990年代に8段階となっていますが、ここでは、6段階で説明していきます。
(三角形で表現された図は、マズロー本人ではなく彼のスポークスマンであったゴーブルが作成であり、基本的欲求の階層理論と高次欲求論の2 つが混在して描かれており、マズローの真意を分かりにくくしたと言われている)
この欲求段階説が発表された当初、階段を上るにはその前の階層を完全に満たさなければいけないと考えられていました。しかし、その後の調査によれば、各階層は同時進行で行われており、完全ではなくてもある程度満たしていれば、次の段階に行動を起こすことがわかりました。また、低次から高次へ順番に移行するとは限らず、ガンジーやマザーテレサのように、むしろ高次が満たされることで、より幸せになりうる人もいることが指摘されています。一方、基本的欲求の上位階層より下位階層の方が、幸せに対する満足感は強いため、なかなか物理的欲求を抜け出せない人が多いのです。
物心両面の幸せと言われるように、幸せは「物質的欲求」と「精神的欲求」がバランスよく満たされることで実現が可能になります。
心理学では、多額の収入を得ても、幸せな感情は一時的であるといった調査結果が数多く出ています。虚無感と次の欲求が現れ、行動を起こすからです。
日本では、2017年にメンタル疾患者が423万人となることからすれば、物質的欲求がみたされた反面、精神的欲求が満たされていない状況になっています。
晩年、マズローは、自己実現の欲求の上位にある「自己超越欲求」した理由としては、「自己実現」まででは、個人と社会とのつながりが説明できないために、奉仕の精神や隣人愛といった概念を入れたとも言われています。
「自己超越欲求」の段階は、
- 他者の不幸に罪悪感を抱く
- 創造的である
- 謙虚である
- 聡明である
- 多視点的な思考ができる
といった欲求とも悟りとも取れる段階で、マズローによれば、このレベルに達している人は人口の2%しかないと言っています。
利他と利己、自己実現との関係と一流~五流
日本でいちばん大切にしたい会社大賞 中小企業庁長官賞受賞企業 清川メッキ株式会社専務取締役 清川卓司氏は、自利と利他、自己実現との関係と、仕事の法則を一流~五流に分けて整理しています。
当面、自分のため、お金、給料、生活のためが、五流、四流です。マズローでは、生理的欲求と安全欲求である物質的欲求にあたります。
この段階では、生理的欲求、安全欲求を越えた社会的欲求である帰属欲求や他から認められたといった尊敬と評価の欲求、さらに、自己実現の欲求や自己超越欲求が芽生える段階になります。
さらに、生理的欲求、安全欲求を越えた社会的欲求である帰属欲求や他から認められたといった尊敬と評価の欲求、さらに、自己実現の欲求や自己超越欲求が、より強いレベルで思いが強くなって取り組む段階になります。
そして、一流と言われる段階になれば、他からの評価ではなく、日本一、世界一、世界初、オリンピックに出たいといった自分自身が成し遂げる、つまり、第5段階である自己実現の領域に移っていきます。そして、マズローが晩年に提唱した「自己超越欲求」である世の中すべての他人に喜びを与えている、おてんとうさまや世間といった、まさに、自己を超越した段階になっていきます。
さらに、清川氏は、四流~五流よりも低い六流を付け加えています。冒頭に書いた利他が全くなく、利己の意識が強い人「我利我利亡者」は、時として、犯罪者になってしまうと言います。
逆に、利己が全くなく、利他だけの他人は、宗教家であると言い、一流~五流では測れない零流と位置付けています。
清川氏、仕事の質は、利己×利他×自分の強みの掛け算が仕事の質になり、利己の振幅が大きいほど、利他への反動が強まるとして、仕事の質も非常に高まると言います。
利他が重要だと言われることに、なんとなく精神論的で、「そんなきれいごとを言っても・・・」と感じることは、ある意味、共感できる面もあると思います。
特に、臨済宗妙心寺派円福寺において西片擔雪の下で得度し、仏教の僧籍を得た京セラ創業者稲盛和男が、「全従業員の物心両面の幸せ」などというと、利他だけで利己があってはいけないといったことと思われても仕方がありません。しかし、稲盛氏は、決して利己を否定していません。「もっとお金を儲けたい」「もっと豊かな生活をしたい」という利己的な欲望は、事業を発展させていく上で強力なエンジンであり、ベンチャー企業の場合、そうした利己的な欲望が、往々にして事業発展の原動力となっていると言います。
一方、利己的な欲望だけで経営している者は、決してその成功を長続きさせることはできないとも言っています。なぜなら、自己の欲望を満たすという一点張りで、策を弄(ろう)するならば、相手も必ず利己的な対抗策を打ち、必ず軋轢(あつれき)が生じるといった理由からです。
確かに、利己的な欲望により会社を起こし、成功を遂げた経営者が、やがて自身の利己的な心によって企業を衰退させ、晩節を汚すという例は、数多くあります。
逆に、「利他の心」でビジネスを進めることで、相手にも周囲にも、信頼されるパートナーとして、いい関係が造られていくことは容易の想像できます。
人の心の中には、「利己」と「利他」と、二つの心が住んでいて、「利己の心」を抑制し、「利他の心」が心の中を多く占めるように努力をし、そうしていくということが大事だとも言っています。
この点は、清川氏が、「利己の心」を高めることにより、その振り幅で、「利他の心」も高めるといった見解と、「利己の心」を抑制して、「利他の心」が心の多くを占めるように努力するといった稲盛氏の考え方と異なりますが、いずれにしても、利己の心を否定していません。
清川氏が言う「利己の心」の極限は、まさに、マズローでいう自己実現の意味合いです。マズローは、自己実現を次のように定義しています。
「自己実現とは、才能・能力・可能性の使用と開発である。そのような人々は、自分の資質を十分に発揮し、なしうる最大限のことをしているように思われる」
清川氏が例に出したように、日本一、世界一、世界発、オリンピックに出るといった段階は高めた人は、ある意味、その才能を開花させ、最高の幸福を手に入れた人ではないでしょうか?
プロ野球のイチローやJリーグの三浦知良など、金銭的な欲求を越えて自己実現を追求している人でしょう。
一方、宝くじが当たり、一生遊んで暮らせるお金を手にしたとしても、それは、一次的な喜びでおわり、決して幸せは長続きません。
こうした例を出すまでもなく、人間、自分のもてる能力を最大限開花させることができれば、それに勝る幸せはないでしょう。
そして、イチローやJリーグのように、究極の自己実現をした人は、必ずといっていいほど、球界のため、子供たちのためといった利他的な活動にも熱心になります。ビジネスにおいてもスポーツ用品大手ナイキの共同創業者フィル・ナイト氏が、保有資産のほぼすべてにあたる250億ドル(約2.8兆円)を慈善活動へ寄付、マイクロソフト創設者ビルゲイツ氏が、夫妻が創設した慈善団体「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」宛てに毎年46億ドル(約5070億円)を継続していることは、まさに、自己実現を越えた自己超越の領域にあることがわかります。また、マザーテレサが貧困や病気に苦しむ人達の救済活動に生涯を捧げたような、見返りのない慈善的な欲求がこの自己超越欲求に当たります。
そして、マズローは、生理的欲求は 85%,安全の欲求は 70%,愛の欲求は 50%,自尊心の欲求は 40%,自己実現の欲求は 10%が充足されているのが普通の人とし、自己超越した人は、全人口の2%だとしています。
最後に、企業経営において、どのようなことに取り組む必要があるかですが、最高の幸せであることことから、最終的には自己超越になるような人財育成を目指すことが重要です。しかし、マズローが示したように、組織においても極わずかの人財が自己超越だと仮定すれば、清川氏が設定しているように、一流~四流・五流といったわかりやすい仕事の段階を設けて社員に示すことは効果的です。そして、各段階にある社員の欲求が充足を目指した施策・取組みを心掛けることが、社員の幸せを大切にする経営の実践と言えるのではないでしょうか。
私なりの結論を整理すると以下の通りです。
ポイント
- 利己と利他の両面の取組みの最大化が、人の幸せを最大化させる。
- 利他だけでなく、利己(自己実現)の追求が重要である。
- 組織においては、それぞれの段階にある構成員に応じた取組みが幸せに繋がる。
藤井正隆
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