先人は、「幸せ」をどう考えたか?
「幸せ」といったことは、幸福学といったように研究の対象となってきたのは、まだまだ最近のことです。
しかし、限りある寿命の中で、人がいかに幸せを感じなら生きていけるかは、大昔からの関心事であったことは間違いありません。まずは、先人が、どのようなことを考えてきたかについて、要点のみ整理してみたいと思います。
古代ギリシア・ローマ
幸福主義
幸運や一時的な肉体的快楽などではなく、もっと深いもので魂が真に満足する状態をもって幸福とする。行動には目的があり、それを善とみなすが、その目的である善とは様々で究極目的となるものが幸福である。究極目的は、何か他のことを成し遂げるために求めるものではなく、それ自体が望まれるものである。
快楽主義
人間が心に思う、身体に感じる、そのままの気持ちに沿って、他人の思うことに関係なく振舞うことが幸福につながる。幸福は、部分的な個々の快楽をあわせ集めたその総計であり、その中には過去の快楽も将来の快楽も含まれると考える。
宗教~キリスト教的幸福と仏教的幸福
「極楽」と言われる。仏教では生理的心理的な感覚は、快感(楽受)も不快感(苦受)も、そのいずれでもないもの(不苦不楽受)も本質的にはみな苦しみにつながらざるを得ないものと考える。仏教の目標は、この苦から受け入れることにより、悟りを開くことが幸福と捉える。西洋的思想では、この苦を解決するために努力を重ねる。一方、仏教思想は、この欲からの心を開放(空の状態)になることである。
西洋近代
産業革命による資本主義社会の発展の中で、国家の富を増大させ、人々の幸福に貢献するとした。ベッサムが捉えた「最大多数の最大幸福」という功利主義である。功利主義は、幸福と快楽を同一視し、快楽が苦痛を最大限に上回るようにすることが、人間の目的であるとした。基本的には、「幸福=快楽」という快楽主義の立場をとっている。
一方、非功利主義として、カントは、幸福を目的としない、道徳的完全性を持つ時にのみ真の幸福になりえるといい、アランは「幸福は徳である」と述べ、合理主義的なモラリストとして社会的礼節の重要性を説いた。
中国における幸福
孔子の思想に始まる儒教思想と老子の思想に始まる老荘思想とに分離される。
孔子は、人生の意義を悟り、人たる道を行い得れば、これ人間として最高の生き方であるとしている。
老子は、世を逃れて独りを楽しみ、為政の台閣を避けた不作為を主とする思想で、功利を捨て去るところに幸福はもたらされるという。素朴・寡欲こそが人のあるべき自然の姿であり、真の幸福を得ることができるという。
現代社会の幸福論
20世紀後半からは、幸福に関連する科学的アプローチが行われるようになった。
- 心理学の分野
1998 年にアメリカ心理学会の会長であったセルグマンが「ポジティブ心理学」を提唱し、急激な広がりを見せた。ポジティブ心理学は、「精神病理や障害に焦点を絞るのではなく、楽観主義やポジティブな人間の機能を強調する心理学の取り組み」と定義される。 - 経済学の分野
幸福という観点から、効用の中身を測定することは可能だし、測定すべきだという動きが経済学の内部で生まれている。ブータン王国では、GHN(Gross National Happiness: 国民総幸福)を政策目標に掲げていることは有名である。 - 医療の分野
疾病を治療し障害をなくすということから、その人の人生あるいは生活の質を向上させ、維持することへとシフトしている。QOL と密接に関連した主観的幸福や幸福感の研究が盛んになった。
このように、先人が考えた幸福観は、地域・時代世相、さらには、宗教観を色濃く反映し変遷しています。そして、幸福感や満足感といった生理的・感覚的な現象に対し、これだけ多様性に富んだ移り変わりが見られるということは、幸福が社会的な要因と複雑な関わりがあることを表しています。
最近、幸福学といった分野の研究や実践が様々な行われています。英語happiness、well-beingは、両方とも幸福とも訳されます。しかし、少しニュアンスが違うようです。「happiness (ハッピネス)」は一時的な気持ちや感情も含めていう表現で、どちらかというと一時的な意味での「幸せ」です。一方、「Well-Being(ウェルビーイング)」は、人生の中での「長い間続く幸せな状態(持続的幸福)」のことを刺し、最近学問の世界では「幸福」を、Happinessではなく、「Well-Being(ウェルビーイング)」と呼ぶのが一般的になっています。
しあわせ総合情報サイト より引用
このように幸福学の研究は、始まったばかりであり、ウィキペディア(Wikipedia)で幸福学を調べても掲載されていません。
紹介してきた「幸せ」に関して先人が説いたことは、幸福論といった表現されています。理由としては、「学」とは知識の体系的な連なりであり、求めうる幸福が主観的で体系化が難しいために、「学」とはなりにくいからです。社会学(統計的なアプローチ)ではなく、哲学的に語られてきた幸せを、「学」として成り立つのかは、これからだと思われます。例えば、報酬と幸福の関係についても、幸福度が頭打ちになる金額は、調査結果には大きくバラつきがあります。もちろん、調査の前提を細かく設定することは可能ですが、膨大な数の調査をしなければ体系化が難しいからです。
そして、上図に示された幸福学の範囲の広さから、具体的にどうすればいいのかを導き出すことは容易なことではないでしょう。
いずれにしても、「学」か「論」かは別として、幸せは、人間にとって重要なことには間違いありません。今ある考え方の中で、幸せとは何か?私たちは、何を目指していけばいいのかを考えてみたいと思います。特に、企業経営の中で、関わる人の幸せについて、どのように考えたらいいのかは、経営者として大きな関心事であるからです。
幸福のレベル
ダニエルベルは、先人の幸福について説いたきたことを3つのレベルで整理しています。
先人が語ってことことは、それぞれのレベルを想定していたことがわかります。
例えば、「快楽主義」は【レベル1】に近く、ベッサムが唱えた「功利主義」は、【レベル2】の幸福になるでしょう。そして、【レベル3】は、アリストテレスが「善良なる理想」と名付けた「エウダイモニア」の世界です。個人の潜在能力を存分に開花させることができる生活を指します。
アリストテレスが残した倫理学について、息子ニコマコスが編集した『ニコマコス倫理学』では、行為が目指す目的を「善」と呼び、この善には二種類あるとしました。「活動そのもの」が目的である場合と、活動の結果としてうまれる「所産」が目的であって、活動はその所産にいたるための活動にすぎないという場合であるというのです。例えば。、楽器演奏は、活動そのものが目的です。一方、調理は、できあがった料理のほうが目的であるといった違いです。
アリストテレスは、「所産」ばかりを追い求めている人は、活動そのものが目的である場合が抜けているといっています。つまり、アリストテレスがいう「最高善」は、「活動そのもの」と「所産」を得るための行為、両方だと言います。そして、最高善とダンスのようなものだといい、ダンスはダンスする活動自体が目的だというのです。つまり、「幸福のために生きる」というのは、まだ見ぬどこかのユートピアをめざして旅をするようなことではなく、ダンスを完成させるためにダンスのステップを踏みつづけることである。人生の目的は、人生のなかに、そのステップの一つひとつのなかに宿っている」といっているのです。「活動そのもの」といった思想は、ある意味、「いまここ、わたし~今だけを人生の本番、今こそが人生の目的」といった禅の思想に通じるものかもしれません。
「活動そのもの」が目的というと、ポジティブ心理学の中で、「フロー」といった状態を思い浮かべるかもしれません。フローとは、心理的エネルギーを1つの目標に向けて集中して、行動できている状態のことです。フローは心理学者のM・チクセントイハイは、「幸福」や「創造性」に関するポジティブ心理学の代表格ともいえる概念の一つです。
登山家、スポーツ選手、芸術家は、比較的にフロー状態になりやすいと言われています。
ゲームに夢中になって朝までやっていて後で後悔することもあります。さらに、芸術家が、うつ病になりやすいことから、必ずしもフローが、幸せであるとは限らないとも言えれると思います。
いずれにしても、エウダイモニアといった概念は、個人の潜在能力を誰が判断するかは曖昧です。もし、本人が判断するなら、心理学的な概念になり有意義な議論になります。ところが、「人は、人生において何をすべきか」といった基準を研究者が押し付けた途端に教訓みてしまうものになってしまいます。
【レベル1】である「喜び、楽しさ」といったレベルは、例えば、写真撮影で表情をみる実験でも全世、全人種共通であるといったことが示されており測定可能です。
また、【レベル2】の充足感、生活の満足度なども測定することができるでしょう。
しかし、【レベル3】は、測れるものではありませんから、目指すといった種類のレベルなのでしょう。
社員の幸福度を高めるには
企業経営において、社員の幸福度を高めるためには、どうすればいいでしょうか?特に、社員第一主義を掲げる企業は、誕生日会、食事会、社員旅行、レクリエーション、ありがとうカード、給料アップなど、その他、様々な取組みを熱心に実施しています。
こうした企業の取組みが、説明してきたレベルのどの段階にあるのかを客観的に確認することが重要だと思います。
以前、伊那食品工業株式会社 中興の祖といわれる塚越 寛最高顧問に、幸せについて質問した際、次のような応えが返ってきました。
「私は、誕生日会といったことを社員にするのは、表面的であまり好みではないんですよ。企業経営で一番大切なことは、この会社にいたら、将来安心できて生活の計画が立てられる。少しずつでも、会社も良くなっている。自分も成長しているといったことがなんですよ。」
あきらかに、3つのレベルで言えば、【レベル1】ではなく【レベル2】であることがわかります。さらに、塚越最高顧問は、道徳教育、心の教育が必要であるとも言われました。【レベル3】を想定しているのではないかと思います。
著名なポジティブ心理学者が、企業経営に提案する内容が、【レベル1】の提案をしていますが、基本的には、社員の幸福度を上げる方法論に明るくないことに起因していると思います。企業経営において、最大の目的である社員の幸福度を上げるには、心理学だけではなく、経営管理を熟知しなければならないのではないでしょうか。
私なりの結論を整理すると以下の通りです。
ポイント
- 幸福には、様々考え方があることを理解する必要がある。
- 個人や組織の行為が、幸福のレベル1~3にあるかを客観的に見る必要がある。
- 社員幸福度のレベル1~2は定期的に測定して施策を打つ。レベル3については、心の教育の機会を提供することが重要である。
藤井正隆
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